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「もしも」は、必ず来ると思って備える
避難訓練の日、子どもたちは真剣な顔をして並びます。「おかしも」の約束を守りながら、先生の誘導に従って、素早く園庭に出てくる。その姿を見るたびに、わたしは「この子たちが、本当にいざというとき、自分の命を守れるように」という思いを新たにします。訓練は、やらされるものではなく、命を守るための練習です。その意味を、子どもたちに伝え続けることが、防災教育の出発点だとわたしは思っています。
日本は、地震、台風、洪水、土砂災害など、様々な自然災害のリスクと隣り合わせに暮らしています。「うちの地域は大丈夫」という過信が、最も危険な状態です。災害はいつ、どこで、どんな形で起きるかわからない。その不確かさの中で、「もしも」が来たときに最善の対応ができるように、日頃から備えておくことが、保育園という場所の大きな責任のひとつです。
園ナースとして、災害時対応に関わる仕事は多岐にわたります。避難訓練の計画への参加、救急医薬品の備蓄管理、慢性疾患のある子どもの緊急時情報の整理、保護者との連絡体制の確認、スタッフへの救急対応研修……。これらは、普段の保健業務とは少し違う「備えの仕事」ですが、いざというときに子どもたちの命を守るために、欠かせないものです。
「備えは、不安ではなく責任から」という言葉を、第4回の記事でも書きました。災害への備えも、まったく同じことです。最悪の事態を恐れるのではなく、最善の対応ができるよう準備しておく。その姿勢が、子どもたちと保護者への、保育園としての誠実な約束になると、わたしは思っています。

避難訓練を、「本物」に近づける
多くの保育園では、毎月避難訓練を行っています。火災、地震、不審者対応など、様々な想定で訓練を重ねます。でも、訓練がいつの間にか「形式的なもの」になってしまうことがあります。決まった時間に、決まった流れで、決まった場所に集まる。それ自体は大切なことですが、「訓練のための訓練」になってしまうと、本当の意味での備えにはなりません。
訓練を「本物」に近づけるために、わたしが大切にしていることがあります。それは、「想定を変える」ことです。いつも昼間に行う避難訓練を、給食中や午睡中に行ってみる。いつもと違う経路で避難してみる。担任の先生が不在の想定で訓練してみる。こうした「いつもと違う」条件を加えることで、本当にいざというときの対応力が試されます。
子どもたちにとっても、訓練の意味を理解させることが大切です。「これは練習だから」という前提で行う訓練は大切ですが、「なぜこの練習が必要なのか」を、年齢に合わせた言葉で伝えることも重要です。「地震が来たとき、みんなが安全でいられるように練習しているんだよ」「先生の声をよく聞いていれば、大丈夫だよ」という言葉が、子どもたちの訓練への真剣さを引き出します。そして、その真剣さが、本当の緊急時に生きてきます。
慢性疾患のある子どもの、災害時対応
災害時の対応で、園ナースとして特に注意を払っているのが、慢性疾患のある子どもへの対応です。喘息、てんかん、食物アレルギー、心疾患、糖尿病……。こうした疾患を抱える子どもは、災害時のストレスや環境の変化によって、症状が悪化するリスクがあります。また、避難先では、普段の医療的なサポートが受けにくくなることもあります。
だからこそ、平常時から「その子の緊急時情報」を整理しておくことが欠かせません。疾患名、内服薬の種類と用量、緊急時の症状と対応方法、かかりつけ医の連絡先、保護者への緊急連絡先……。こうした情報を、防水性のある袋に入れて、避難時に持ち出せる場所に保管しておきます。避難先でも、その子への適切な対応ができるよう、情報が確実に引き継がれる仕組みを作っておくことが大切です。
内服薬の管理も、災害時対応の重要な要素です。保育園で預かっている薬が、避難時に持ち出せるか。薬の保管場所は、持ち出しやすい場所にあるか。避難先に薬を持って行った後、追加の薬が必要になった場合の手順は決まっているか。こうした確認を、定期的に行うことが、慢性疾患のある子どもの安全を守ることにつながります。
地震・火災・風水害――それぞれの備えと対応
災害といっても、その種類によって、必要な対応はまったく異なります。地震、火災、台風・洪水……。それぞれの災害特性を理解したうえで、「その災害が来たときにどう動くか」を、具体的にイメージしておくことが、実際の場面での判断力につながります。訓練で学んだことが体に染みついていれば、いざというときに考える前に体が動きます。その状態を作ることが、訓練の目標です。
地震への対応で最初にすることは、子どもたちの安全確保です。揺れを感じたら、まず机の下に身を隠すか、頭を守る姿勢をとる。落下物や倒壊物から身を守ることが最優先です。揺れが収まったら、火の始末、ガスの元栓、窓や扉を開けて逃げ道を確保する。その後、人員確認を行い、避難が必要な場合は速やかに安全な場所へ移動する。この流れを、全スタッフが迷わず実行できるよう、訓練で繰り返すことが大切です。
園ナースとして地震発生直後に確認することは、負傷者の有無です。倒れたものにぶつかった、転んだ、ガラスで切った……。揺れの中でけがをする子どもが出ることがあります。避難を進めながら、同時に負傷者への対応も行う。その二つを並行して動けるよう、役割分担を事前に決めておくことが、混乱を最小限にします。
火災対応と、煙の怖さ
火災の訓練では、「おかしも」の約束が基本です。「おさない、かけない(かけまわらない)、しゃべらない、もどらない」。子どもたちがこの約束を守ることが、避難をスムーズにする上でとても重要です。特に「もどらない」は、大人にとっても難しい判断です。忘れ物を取りに戻る、友だちを探しに戻る……。その判断が、命取りになることがあります。
火災において、最も多くの命を奪うのは、炎ではなく煙です。煙は、炎よりもはるかに速く広がり、視界を遮り、有毒ガスによって意識を奪います。子どもたちに「煙を吸わないように、低い姿勢で逃げる」という行動を訓練で体に覚えさせることが、火災時の生存率を高めることにつながります。ハンカチや袖で口を覆う、姿勢を低くして移動するという動作を、訓練のたびに丁寧に確認することが大切です。
保育園の建物の中の、火災報知器の場所、消火器の場所、避難経路、避難口の確認も、定期的に行う必要があります。「知っているつもり」でも、実際の緊急時には頭が真っ白になることがあります。体で覚えるほど繰り返すことで、緊急時にも自動的に体が動きます。また、避難経路が日常の保育の中で物で塞がれていないかの確認も、園ナースとして定期的に行うようにしています。
台風・洪水・土砂災害への備え
近年、台風や豪雨による洪水、土砂災害のリスクが高まっています。地震や火災とは異なり、台風や洪水はある程度事前に予測できる災害です。だからこそ、「来る前の準備」が特に重要になります。
台風が接近している場合、保育園としての対応方針を早めに決めることが大切です。臨時休園にするか、通常通り開園するか。開園する場合、どのタイミングで保護者に迎えを依頼するか。こうした判断を、気象情報を確認しながら、園長先生や主任の先生と連携して行います。園ナースとして、気象情報の確認と、保護者への情報発信のサポートをすることが、台風時の対応における役割のひとつです。
また、保育園が立地している地域のハザードマップを確認しておくことも、重要な備えです。洪水リスクのある地域か、土砂災害の危険区域に近いか、避難場所はどこか……。こうした地域の地理的なリスクを理解したうえで、「どのような状況になったら、どこへ避難するか」を、具体的に決めておくことが大切です。「とりあえず避難」ではなく、「この状況になったら、この経路でここへ」という具体性が、実際の避難行動を速くします。
備蓄物資の管理と、定期的な確認
災害時に保育園で子どもたちを一定時間保護することになった場合、食料、水、医薬品などの備蓄物資が必要になります。園ナースとして、医薬品や衛生用品の備蓄管理は特に重要な仕事のひとつです。消毒液、ガーゼ、包帯、絆創膏、体温計、使い捨て手袋……。これらが十分な量、備蓄されているかを定期的に確認し、期限切れのものを交換し、不足しているものを補充します。
また、慢性疾患のある子どものために必要な物品も、備蓄として考える必要があります。エピペン、吸入器、血糖測定器……。これらは、その子が在園している間は、常に使用できる状態で保管されている必要があります。災害時に「薬が手元にない」という状況を避けるために、保護者と連携して、薬の管理体制を日頃から整えておくことが大切です。
食料と水の備蓄については、「何日分を、何人分」用意するかを、園の規模と地域のリスクに応じて決めておく必要があります。一般的に、最低でも3日分の備蓄が推奨されていますが、地域の状況によってはより長期の備蓄が必要な場合もあります。また、乳児クラスには粉ミルクや離乳食の備蓄も必要です。アレルギー対応の食品も、忘れずに備蓄しておくことが、すべての子どもの安全を守ることにつながります。
保護者との連携と、引き渡し訓練の意味
災害時の保育園の対応において、保護者との連携は欠かせない要素です。特に、子どもを保護者に引き渡す「引き渡し訓練」は、災害時対応の中でも特に重要な訓練のひとつです。引き渡し訓練は、子どもを誰に、どのような手順で、どのように確認しながら渡すかを、保護者と園が一緒に確認する機会です。
引き渡しの際に最も大切なことは、「正しい人に、確実に引き渡す」ことです。災害時の混乱の中では、普段とは違う人がお迎えに来ることもあります。「祖父母がお迎えに来る」「職場の同僚が来る」「隣人が来る」……。こうした場合でも、事前に「引き渡し可能な人」として登録されているかどうかを確認し、身分証明を確認したうえで引き渡すことが、子どもの安全を守る基本です。
引き渡し訓練を実施するたびに、保護者の方に「なぜこの確認が必要なのか」を丁寧に説明するようにしています。「面倒な手続き」として感じている保護者もいるかもしれません。でも、「あなたのお子さんを、確実に安全な方に渡すための手順です」という説明が、その手続きの意味を理解していただくことにつながります。訓練での一手間が、本当の緊急時に子どもを守ることを、保護者と共有することが大切です。
連絡体制の確認と、情報発信の準備
災害時に、保育園から保護者への情報発信が適切に行われることは、保護者の不安を軽減し、混乱を防ぐ上でとても重要です。「園に子どもが安全でいる」「今すぐ迎えに来てほしい」「迎えが来るまで園で保護する」……。こうした情報を、迅速かつ正確に伝えるための体制を、事前に整えておく必要があります。
近年、多くの保育園では、一斉連絡のためのアプリやシステムを導入しています。こうしたシステムが、災害時にも機能するかどうかを、定期的に確認しておくことが大切です。サーバーがダウンしている場合、通信障害が起きている場合の代替手段も、事前に決めておく必要があります。電話連絡ツリー、掲示板への情報掲示、地域の防災無線の活用……。複数の連絡手段を用意しておくことで、一つの手段が使えなくても情報を届けられる体制が整います。
また、災害時の情報発信では、「正確な情報を、落ち着いたトーンで伝える」ことが重要です。不確かな情報を慌てて発信することは、保護者の不安を煽ることになります。確認できた事実だけを伝え、不明な点については「現在確認中です」と伝える誠実さが、保護者との信頼を守ります。园ナースとして、医療的な情報(負傷者の有無、体調不良者の状況など)を正確に把握し、情報発信の担当者に伝える役割を担うことが、チームとしての対応力を高めます。
子どもの心のケアも、災害対応のひとつ
災害時の対応というと、身体的な安全確保に目が向きがちです。でも、災害が子どもの心に与える影響も、見逃してはいけない大切な問題です。大きな揺れ、火災の警報音、慌てる大人の様子……。子どもはこうした体験に、大人が思う以上に強く反応することがあります。
訓練や実際の避難の後、子どもたちの心の状態を確認することが大切です。表情が固い、ぐったりしている、普段より泣きやすい、突然フラッシュバックのように怖がる……。こうした様子が続く場合、心理的なサポートが必要なことがあります。园ナースとして、身体的な健康確認と同時に、心の状態にも目を向けることが、災害後のケアの基本です。
子どもたちへの言葉かけも、慎重に行う必要があります。「大丈夫だよ」という言葉は安心させるつもりで使いますが、「怖かったね」「びっくりしたね」と感情を先に受け止めてから、「でも、先生がいるから大丈夫だよ」と続けることが、子どもの心を支える言葉の順番です。感情を無視して「大丈夫」と言うのではなく、感情を受け止めてから安心を伝える。その順番が、子どもにとって本当の安心につながります。
備えることは、愛することだ
災害への備えを、地道に続けることは、目に見えにくい仕事です。備えがしっかりしているから何も起きない、という状態では、その備えの価値が表面には現れません。でも、備えがなければ起きていたかもしれないことを、備えが防いでいる。その見えない貢献が、子どもたちの安全を支えています。
避難訓練の計画を立て、備蓄物資を確認し、緊急時の連絡体制を整え、スタッフと情報を共有し、保護者と引き渡しの手順を確認する。こうした地道な仕事のひとつひとつが、「もしも」のときに子どもたちの命を守るための積み重ねです。その積み重ねを、目立たなくても、誰かに褒められなくても、続けていくことが、園ナースとしての責任です。
備えることは、愛することだとわたしは思っています。子どもたちへの愛情が、「もしものときも守りたい」という準備につながる。その準備があるからこそ、「今日も安全に過ごせた」という日常が守られる。保育と看護のあいだで、見えない備えを積み重ねながら、今日も子どもたちのそばに立ち続けます。いつか来るかもしれない「もしも」のために、そして何も起きない「いつも」を守るために。

