※本記事にはプロモーションが含まれています。
あの日、保健室で泣いたこと
保育の仕事を長く続けていると、「折れそうになる日」が来ます。園ナースも、例外ではありません。むしろ、医療の知識と責任を持ちながら、保育という集団の中で一人で動くことの多い園ナースは、その孤独感や重圧を、誰かに話せないまま抱えてしまうことがあります。
わたし自身にも、そういう日がありました。ある日の夕方、子どもたちが全員帰った後の保健室で、一人で泣いたことがあります。その日は、体調が急変した子どもへの対応で判断を迫られ、保護者への連絡でうまく言葉が伝わらず、ベテランの保育士さんとの連携がうまくいかなかった日でした。「自分はこの仕事に向いていないのではないか」「もっとできることがあったのではないか」「病院に戻った方がいいのではないか」――そういう言葉が、頭の中をぐるぐると回っていました。
誰でも、そういう日があります。医療の専門家として判断を求められながら、保育の文化の中で動き、保護者との信頼関係を築き、スタッフとチームを作る。その複数の役割を同時に担うことの難しさは、園ナースという仕事に特有のものです。病院の看護師とも、保育士とも、少し違う立ち位置に一人で立ち続けることの、孤独さとプレッシャーは、経験した人にしかわからないものかもしれません。
でも今は、あの日保健室で泣いたことを、悪い記憶としてではなく、「あの経験があったから、今がある」という感覚で思い出せます。折れそうになった日々があったからこそ、この仕事の重さと深さを知ることができた。その経験を、同じように折れそうになっている誰かに伝えたくて、この記事を書いています。

園ナース特有の、孤独感について
園ナースの孤独感は、少し特殊な形をしています。病院の看護師であれば、同じ職種の同僚が周りにいます。判断に迷ったとき、相談できる先輩看護師がいます。チームの中で、同じ言語を話す人たちと働くことができます。でも、保育園では、多くの場合、看護師はその園に一人です。医療的な判断を相談できる職種の人が、身近にいない環境で、毎日判断を下し続ける。その孤独感は、病院では経験しなかったものです。
また、保育士さんとの文化的な違いを感じる瞬間もあります。使う言葉が違う、重視することが違う、子どもへの関わり方の哲学が違う……。その違いを乗り越えて、チームとして動くことの難しさを、特に最初の数年間は強く感じました。「看護師の視点」と「保育の文化」の間で、どこに自分の立ち位置を作るか。その答えを見つけるまでに、ずいぶん時間がかかりました。
保護者対応の難しさも、園ナース特有の孤独感を生みます。病院では、医師を中心としたチームの一員として、医療的な説明を行います。でも保育園では、医師がいない環境で、保護者の医療的な疑問や不安に向き合うことが求められます。「専門家として答えてほしい」という期待と、「でも、わたしは診断も処方もできない」という限界の間で、どう応えるか。その綱渡りのような対話を、毎日繰り返すことの消耗感は、病院では経験しなかったものでした。
「自分を責める」という罠
折れそうになるとき、多くの場合「自分を責める」という罠にはまっています。あのとき、もっと早く気づいていれば。もっとうまく保護者に伝えられていれば。もっと保育士さんとうまく連携できていれば。こうした「もっと〇〇していれば」という思考が、疲れた心をさらに追い詰めます。
自分を振り返ることは大切です。反省から学ぶことは、成長の大切なプロセスです。でも、振り返りと自責は、似ているようで違うものです。振り返りは、「次にどうするか」という未来に向かう思考です。自責は、「なぜできなかったのか」という過去に向かう思考です。その違いに気づくことが、折れそうになったときに自分を救う一つの方法だとわたしは思っています。
「完璧な対応など、存在しない」ということも、繰り返し自分に言い聞かせることが大切です。子どもの体調変化は、すべて予測できるわけではありません。保護者との対話は、常にうまくいくとは限りません。チームの連携は、努力しても噛み合わない日があります。それは、自分の力不足だけではなく、仕事そのものの複雑さから来るものです。「できなかった」ことを責めるより、「今日もできる限りのことをした」という事実を、きちんと自分に認めてあげることが、長くこの仕事を続けるための大切な習慣です。
支えてくれた言葉と、人のこと
折れそうになった日々の中で、わたしを支えてくれたものがあります。それは、言葉と、人です。誰かからもらった言葉が、ふとした瞬間に蘇って、「もう少し続けよう」という力をくれることがあります。その言葉を届けてくれた人の顔が、疲れた夜に浮かんで、「あの人に恥ずかしくない仕事をしよう」という気持ちを呼び起こすことがあります。
最初に園ナースとして働き始めた頃、右も左もわからないわたしに、ベテランの保育士さんが言ってくれた言葉があります。「看護師さんがいてくれると、わたしたち、すごく安心なんです」という一言でした。その言葉が、どれほどわたしの背中を押してくれたか。「自分がここにいる意味がある」という感覚を、初めてはっきりと感じた瞬間でした。今でも、その言葉はわたしの中に生きています。
保護者からの言葉も、力をくれます。「先生に相談してよかった」「いつも気にかけてくれてありがとう」「子どものことをこんなに見てくれている人がいると知って、安心しました」――こうした言葉は、日々の消耗感をやわらげ、「この仕事を続けてきてよかった」という実感を呼び起こしてくれます。直接言葉をかけていただけることもあれば、連絡帳に一言書いてあることもある。どんな形であれ、保護者からの「ありがとう」は、園ナースにとってかけがえのない報酬です。
子どもたちが、一番の支えだった
でも、正直に言えば、一番の支えは、いつも子どもたちでした。どんなに疲れた日でも、翌朝登園してくる子どもたちの顔を見ると、気持ちが切り替わります。「せんせい、おはよう!」と走ってきてくれる子、名前を呼んでくれる子、手を引いて「こっちきて」と連れて行こうとする子。その無邪気なエネルギーが、昨日の疲れをすっと払ってくれます。
保健室に来る子どもたちとの小さなやりとりも、毎日の力になっています。膝の手当てをしながら聞く「きょう、〇〇したんだよ」という話。体温を測りながら見せてくれる、得意気な顔。「もうなおった!」と言って走り出す後ろ姿。「ここがすき」と言って、なんとなく保健室に来てくれる子。こういった瞬間が積み重なることで、「やっぱり、この場所が好きだ」という気持ちが育まれていきます。
子どもは、正直です。疲れて余裕のないわたしの前でも、いつもと変わらない全力の笑顔でやってきます。その笑顔に、「こちらこそ、ちゃんとしなければ」という気持ちを呼び起こされます。子どもたちが無意識のうちに、わたしを支えてくれている。その事実に、この仕事を続けるうちに、少しずつ気づいていきました。
同じ立場の人とつながる、大切さ
園ナースとして働く中で、「同じ立場の人とつながること」の大切さを、強く感じるようになりました。保育園に一人しかいない園ナースは、職場内に相談できる同職種の仲間がいません。だからこそ、職場の外に、同じ立場の仲間を見つけることが、孤独感を和らげるうえでとても重要です。
地域の園ナースの勉強会や研修会への参加が、そのきっかけになることがあります。「同じ悩みを持っている人がいた」という発見が、「自分だけではなかった」という安堵につながります。「あの園では、こういう工夫をしているんですね」という情報交換が、自分の実践を豊かにします。対面でなくても、オンラインでつながることができる時代です。同じ立場の人とのつながりを、積極的に作っていくことが、園ナースとして長く働き続けるための大切な支えになります。
また、園ナースとしての自分の経験を、言語化して発信することも、力になることがあります。勉強会で発表する、ブログやSNSで書く、後輩の園ナースに話す……。自分の経験を言葉にする過程で、「自分はこういうことを大切にしてきたんだ」という自己理解が深まります。その理解が、「これからも、これを大切にして仕事をしていこう」という方向性を、自分の中に作ってくれます。
限界を感じたとき、どうするか
折れそうになることと、本当に限界を超えてしまうことは、違います。折れそうになりながらも踏みとどまることができるうちは、まだ回復の余地があります。でも、睡眠が取れない、食欲がなくなる、出勤することが怖くなる、子どもたちの顔を見ても何も感じなくなる……。こうした状態が続くとき、それは「休む」サインです。
園ナースも、自分自身の健康を守る権利があります。「休むことは、弱さではない」ということを、他の誰よりも、まず自分自身に言い聞かせることが大切です。医療の知識を持っているからこそ、「この状態は休息が必要だ」という判断を、自分自身に対してもできるはずです。その判断を、躊躇なくできることが、健康で長く働き続けるための条件です。
信頼できる人に話すことも大切です。園長先生、主任の先生、職場の外の友人、家族、あるいは専門家……。「しんどい」という言葉を、誰かに向けて発することが、回復の第一歩になることがあります。一人で抱えていたものが、言葉にすることで少し軽くなる。その経験を、わたし自身も何度かしてきました。
それでも続けてきた理由、これからも続ける理由
折れそうになりながらも、わたしが園ナースを続けてきた理由を、改めて考えてみます。一つに絞ることはできませんが、一番深いところにあるのは、「この仕事でなければ出会えなかった景色がある」ということだと思います。
病院の看護師として働いていたとき、わたしは「治す」ことに関わっていました。病気や怪我を治し、患者さんが回復していく過程に寄り添う。それはとても意義深い仕事でした。でも、園ナースとして働くようになって、「育つ」ことに関わるという、まったく違う喜びを知りました。昨日より少しできることが増えた、先週より言葉が増えた、先月より体が大きくなった……。子どもたちの成長は、毎日目の前で起きています。その成長の連続を、毎日間近で見られることは、病院ではなかなか経験できないことです。
「治す」仕事と「育つ」仕事。どちらが大切ということではありません。でも、わたしにとっては、「育つ」ことに関わる仕事の喜びが、この場所にわたしを引き止め続けてきた理由のひとつです。子どもたちが育っていく姿を見続けること。その特権を、园ナースという仕事は与えてくれています。
「保育と看護のあいだ」にいることの意味
保育と看護のあいだ、という言葉をこのシリーズのタイトルに選んだのは、その「あいだ」こそが、わたしの仕事の本質だと感じているからです。保育でもなく、看護でもなく、その両方の視点を持ちながら、子どもたちとその家族に関わる。その立ち位置は、時に孤独で、時に難しく、時に「自分はどこに属しているのか」という戸惑いを生みます。でも同時に、その「あいだ」にいるからこそ見えるものがある。その「あいだ」にいるからこそできることがある。
医療の目で子どもを見ながら、保育の心で子どもに関わる。子どもの体のサインを読みながら、その子の心にも寄り添う。保護者の言葉を医療的な視点で整理しながら、人として温かく受け止める。保育士さんの直感を、医療的な根拠と結びつけて言語化する。こうした「あいだの仕事」は、どちらか一方の専門家にはできないことです。その仕事ができるのは、「あいだ」に立つ者だけです。
その「あいだ」の立ち位置を、これからも大切にしていきたいと思っています。孤独に感じる日があっても、迷う日があっても、折れそうになる日があっても。「保育と看護のあいだ」にいることの意味を信じながら、子どもたちのそばで働き続けること。それが、この仕事を選んだわたしの、これからの道です。
第1シーズンを終えるにあたって
この「保育と看護のあいだ」シリーズの第1シーズンを通じて、園ナースという仕事のさまざまな側面を書いてきました。子どもの体調管理、緊急時対応、保護者との関わり、慢性疾患のある子どもへのサポート、食と睡眠、行事と防災、発達の気になる子どもへの向き合い方……。そのどれもが、日々の保育の現場で、わたしが実際に向き合ってきたことです。
書きながら気づいたことがあります。どのテーマを書いても、最終的には同じところに辿り着くということです。それは、「子どもの真ん中に立つ」ということです。医療の知識も、保育の経験も、保護者との対話も、チームとの連携も、すべては子どもを真ん中に置くためのものです。その子どもの真ん中に立ち続けることが、園ナースという仕事の本質だと、書き続けることで改めて確信しました。
第2シーズンでは、さらに深く、さらに広く、保育と看護のあいだの世界を書いていきたいと思っています。まだ書けていないテーマが、たくさんあります。まだ言葉にできていない経験が、たくさんあります。子どもたちと過ごす毎日が続く限り、書き続けることができると思っています。
読んでくださっている方へ
このシリーズを読んでくださっている方の中には、保護者の方、保育士さん、看護師さん、これから園ナースを目指している方、保育に関心のある方……、様々な立場の方がいらっしゃると思います。どんな立場で読んでくださっていても、「子どもたちのことを大切に思っている」という気持ちは、同じだとわたしは思っています。
園ナースという仕事は、まだまだ知られていない仕事です。でも、保育の現場に看護師がいることの意味は、これからの社会においてますます大きくなっていくと、わたしは信じています。子どもたちの健康を守りながら、その育ちを支え、家族に寄り添い、チームをつなぐ。その仕事の価値が、もっと広く知られる日が来ることを願っています。
保育と看護のあいだで、小さな気づきを大切に積み重ねながら、これからも子どもたちのそばに立ち続けます。第2シーズンでも、また一緒に、保健室の扉を開けていただければ嬉しいです。今日も、子どもたちが元気に「またね」と手を振って帰っていきます。その声と笑顔が、わたしの続ける理由です。

